文章系一次創作(個人)サークル

番外編① 思い出の場所

 気がつけば、私はそこに佇んでいた。
 懐かしい場所。
 最近では客足が少なく、お客さんが乗るまでの間は乗り物が止まっていると聞く遊園地だ。
 でも、何故私はこんなところにいるのだろうか?
 ふとそんなことを思っていれば「おかあさぁ~ん!」という楽しそうな声が聞こえてきて、私は声の方に振り向く。
 煌びやかに光り輝くメリーゴーランドがとても楽しそうなメロディーに合わせてくるくるくる回っていた。
 そのメリーゴーランドのカボチャの馬車には二人の小さな女の子が乗っていて、可愛らしいさくらんぼのヘアピンをつけている女の子が両親に手を振っていた。
 そしてヘアピンの女の子の隣では、綺麗な長い髪をした女の子が少し恥ずかしそうにしていた。
 そんな二人に、優しそうな母親と父親が手を振り返していた。
 しばらくすると、メリーゴーランドはゆっくりと動きを止めて、女の子たちはカボチャの馬車から降りてくる。
 すると「次あれに乗ろうよ!」とヘアピンの女の子は長い髪の女の子の手を引いて指を刺した。
 それは私が幼い頃、カップルに大人気だった大人向けのジェットコースターだった。
 長い髪の女の子は一瞬だけ迷ったが「うん。」と返事を返す。
 ヘアピンの女の子はそれを聞くと大はしゃぎで「じゃあ、はやくいこう!」と言って長い髪の女の子の手を引いてかけていく。
 そんな二人を見て、その母親と父親は仕方なさそうに笑いながらも「転んじゃだめだからねぇ~」と注意しながら、二人について行く。
 たしか身長が足りなくて、大泣きしちゃったんだっけ?
 そう思っていれば、案の定ジェットコースターの前でヘアピンの女の子は大泣きしてしまっていた。
 懐かしいな。
 このあと、ひーが『また来年も来よう?そうしたら、りんちゃんも大きくなってるから。だから泣き止んで?』って慰めてくれたのよね。
 それから私に『あれに乗ろう?あれなら、一緒に座れるし。ね?』って言ってくれて。
 あれ?なにに乗ったんだっけ?
 そう思っていると、長い髪の女の子―ひーは私の方を見て口を開く。
「りん。そろそろ7時だから起きないとねぇ?あ、でもぉ。ひーとしてはぁ~、このままひーも寝ちゃって、一緒に遅刻っていうのもありなんだけどなぁ?」

 私は目をパチッと開くとそのままガバッと起き上がり、迷わずに枕元にある目覚まし時計を引っ掴んで時間を確認する。
 7時12分。
「やばい。遅刻!」
 私は隣で丸まって眠っているひーを気にせずにベットから飛び降りて、壁に掛けてある制服にテキパキと着替えていく。
 一通り準備を終えたところで後ろを振り向くと、ひーは未だ夢見心地。
 私は少しの間ひーの顔を眺めて、ちょっとだけ頬を緩めてしまう。
 正直、可愛い。
 私が男であればよかったのになぁ。と思ってしまうくらいに。
だけど残念なことに私は女で、さらには時間がない。
 それもこれもあれもどれも全部、目の前で幸せそうに眠っているひーの所為だと思うと、この場で叩き起こしたくなる衝動を抑えきれない。
 まあ、状況的に抑えてしまったら、間違いなく二人揃って大遅刻だ。むしろ学校に行かない方がまだ良いような気がしてしまう。
 結果。私はひーをベットから引き摺り落とした。
 もちろん『ゴンッ!』という鈍い音と共に「うひゃぁ!?」と奇妙な声を上げるひー。
 そしてひーは頭を打った場所に手を当てて座り込み、眠気眼を擦りながら欠伸をすると、周囲をきょろきょろと見回して状況確認する。
 確認が終了したらしく、私と目が合うと慌てた様に口を開いた。
「あ。ひ、ひーちゃんの目覚ました~いむ!」
 いや、全然目覚ましなってないし!しかも『あ。』って言った!?
 心の中でそうツッコミを入れながらも「全く。そんなのどうでもいいから。さっさと起きる!時間ないんだから。」と口にして、未だに座り込んでいるひーを無理矢理に起き上がらせる。
 もちろんひーは慌てふためいているけど、その雰囲気は物凄くのんびりしたものだ。
 本当にひーはのんびりしている。
 そんな暇なんてある訳もないのに。
 呆れつつも無理矢理立たせたひーに鞄を持たせ、私も鞄を手に取る。
 「ひーは先に外で待ってて。」
 そう言っていつものように階段を駆け下りていき、手洗い場に入って顔を洗う。
 それからすぐにタオルで顔を拭くと、鏡も見ずにリビングへと入り「おはよう彩お姉ちゃん!」と迷わずに口にした。
「おはようりんちゃん。今朝ごはん並べるから、ちょっと待ってね。」
 そうソファーでコーヒーを飲んでいた彩お姉ちゃんが挨拶を返しながらに立ち上がる。
「うぅ。ちょっとひーの所為で時間ないから今日はいらない。」
 だけど私が疲れた風に断ると、彩お姉ちゃんは一瞬『何の事だろう?』と思っている時の顔をしたが、すぐに楽しそうに笑いながら立ち上がり「ちょっと待ってて。」と言ってキッチンへと消える。
 そしてすぐにキッチンから出てきて、私に「はい。」とトードーバックを渡す。
 私はそれを受け取って「いつもありがと」と笑顔でお礼を言う。
 中に入っているのは私のお弁当。
 一緒に暮らし始めてから、学校のある日はいつも作ってくれている。
 そして彩お姉ちゃんは「どういたしまして。」と優しい笑顔で返してくれる。
 まるで、お母さんのような優しい笑顔で。
 そう思ってしまうと、瞼が熱くなってしまい、私はあわてて「時間ないから行ってきます!」と言ってリビングを後にする。
 背中で「うん、いってらっしゃい」という言葉を聴きながら。
 私は廊下で頬を伝う涙を拭うと、深呼吸を一つする。
 うん、落ち着いた。
 そのまま私は玄関で靴を履く。
 そして何故かこのタイミングで重くなる肩。
「ひー?私は先に外に出て待っててって言ったはずなんだけど?」
 そう私が言うと「えへへぇ~。」というひーの楽しそうな笑い声だけが返ってくる。
 べつに抱きつかれたりおんぶさせられたり、なにかにつけてベタベタされるのが嫌いなわけではない。嫌いなわけではないが。
「ひーあんたねぇ!遅刻しそうなんだから、ちょっとは急ぎなさいよ!!」
 そう。今は急がなければいけない時間なのだ。
 それこそ、駅まで全力ダッシュで。
 けれどもひーは離れようともせず「あ~あ。りんがつめたぁい。昨日の夜はあんなに優しかったのになぁ~。」と意味不明なことをぼやき始める。
 その言葉に心当たりのない私は「昨日の夜って。何の話よ?」と迷わずにひーに聞く。 するとひーは頬を赤らめて「えっとね。昨日夢の中でね~」ともじもじしながら話し始めた。
 うん、そんなところだろうと思ってました。
 というか、遅刻しそうな時ですら平常運行過ぎて、もう溜め息しか出ない。
 今日はこの子は放って置こう。このまま付き合っていたら、待っているのは遅刻と先生からのお説教だ。
 そう心の中で決定した私はひーの手を無理矢理ガバッと開き、一気にその抱擁から逃げ出す。
 もちろんひーが夢心地から目覚めて「あ!」と声を漏らすけど、私はそれを気にも留めず、ドアを開ける。
 そして「いってきます!」とだけ言って家を飛び出して、そのまま走る。
 兎にも角にも時間がない。とにかくダッシュ。全力でダッシュ。
 だけど私の行く先々には、座り込んで花に挨拶。塀の上にいる猫に挨拶。小道の途中でご老人にきちんとした礼儀正しい挨拶。そんなことをしているひーが居た事は言うまでもなかった。
 そして、駅に着いた時には私は「ゼェッハァッ。」と息を切らしてしまっていた。
 もちろんひーは涼しい顔をしている。
 なんだろう。とても不愉快で仕方ない。きっとゲームなんかだと、レベル5とレベル30くらいの差があるに違いない。
 なにをするにしても一緒だったはずなのに、何故こうもスペックに差があるのだろう?
 そんなことを思いつつ、次の電車の時間を確認する。
 7時15分。
 それが電光掲示板に書かれていた時刻だ。
 私の目が一瞬で点になり、ポカンとしたことは言うまでもない。
 確かに、家から駅までは私の全力ダッシュで10分かからない位だ。とても近い。
 とはいえ、着替えを含めなかったとしても、たった3分でここに着くことなどありえない。
 ま、まさか。
 あまりにも急ぎすぎた所為で、時間の壁を超えたとか?
「そんなわけないない。」
 つい口から心へのつっこみが漏れてしまう私の肩が朝と同様に重くなる。
「うわ!?ちょ!?馬鹿!離れなさい!!」
 私は慌てて引き離そうとするけど、ここまで全力ダッシュしてきた私に、ひーを退けるだけの体力はありはしなかった。
 結果。私はきっちりと後ろからひーに抱きすくめられ、周囲からの視線を浴びる事となった。
 とはいえ、駅のホームにいる人はまばらで、両手の指十本を使うだけで事足りる程度だ。
 だけど、それでも私は恥ずかしくて仕方ない。
 自分の顔が真っ赤になっているのがわかるくらいに顔が熱い。
 そしてひーは凄くご満悦らしく「えへへぇ~」と嬉しそうに笑う。
「ひー、離れてよ。人見てるし。それに、汗かいてるから」
 そう私がもごもご言っても、ひーは離れる気配を見せずに「気にしない気にしない~」と嬉しそうに言う。
「ひー、時計の時間弄ったでしょ?」
 そんなひーに色々を諦めた私はそう言って問いただす。もちろん、諦めても顔が熱くて仕方ないのは変わらないけど。
「なぁんのこっとかなぁ~?」
 惚け切ったひーの言葉に私が言い返そうとすると「間もなく、1番乗り場に電車が到着いたします。ホームの黄色い線より下がってお待ち下さい。」とアナウンスが流れる。
 このままでは間違いなく、今以上に恥ずかしい思いをする。
 正直それだけは回避したい。
 そう思った私はひーの腕から逃れるべく、再度暴れる。
 しかしひーの腕は、さらにぎゅ~っと私を抱きしめて離そうとせず、耳元で「りん、暴れると危ないよぉ?」と楽しそうに言われて、私はいろんな意味で諦めてしまった。
 結果。駅に入ってきた電車の窓際に立っていた乗客のほとんどに注目された。
 そして、電車が止まると共に、見慣れた二人と目が合ってしまった。
 ドアが開くと、そこにいる二人のうち一人は〝いつものことですね〟と言いそうな笑顔で、もう一人は呆れた顔で「なにこんな朝っぱらからひーちゃんとイチャついてんだよ、りん。」と口にして私たちを向かえた。
 言うまでもなく、恥ずかし過ぎて死にたい。
そんな私を気にすることなく、ひーは「二人ともおはよぉ~」と見慣れた二人―かすとさくちゃんに挨拶する。
「おはようございます、ひーさん、りんさん。今日は一段とラヴラヴですねぇ。」
そう含み笑いをしながらさくちゃんは挨拶を返し、かすはひーに「おはよう、ひーちゃん。今日も楽しそうだね。」と優しい挨拶を返す。
 そんな二人に私は「ち、ちが!これはひーが勝手に!」と弁解するけど、二人はそろって「はいはい。」と呆れた顔で顔してくる。
 そして私はひーに抱きすくめられたまま、電車へと乗り込むほかなかった。
 そのあと電車内で言われた事は、言うまでもないだろう。
「いつものことじゃないですか?」とか「だけど、やっぱり恥ずかしいですよねぇ?」とすっごく意地悪な笑顔で言われたりとか「まったく。毎日毎日ひーちゃんとイチャイチャしやがって!!」とか「りん、お前はもう少し場を弁えた行動をすべきだ!」とか。
 いや、一番最初のはいいと思う。
 だけどその後は、全部私をおもちゃにするような発言やあんたには言われたくない!って感じな発言だった。間違いなく。
 でも、ひーに抱きすくめられ続けている私には、ただただそれに上の空な返事を返す事しか許されていなかった。

 そして、やっぱり朝には途轍もなく気だるげな坂道。
 もちろんひーはいまだに私を抱きすくめている。
 だけど、もう既に恥ずかしさメーターを162回程振り切った私には、恥ずかしさよりも、この歩き難さのほうが気になって仕方なかった。
 でもそんな私を気にすることすらないひー。
 本当に良い度胸をしている。
 かすは「だり~。あぢぃ~。」とか言いながら胸のあたりをぱたぱたしている。
 そんなかすを「はしたないですよ、かす姉。」と指摘するさくちゃん。
 それに「だってぇ。暑いし。」とかすが返すと見事な蹴りが見舞われた。
 それもそのはず。
 周囲の視線はそんなかすの所為で大量にこちらを向いていたのだから。
「りん、だぁいすきぃ。えへへぇ~。」
 前言撤回。主にかすの所為で向いていたと思っておきたい。
 しかし、今日は本当に暑い。まあ、ひーがべったりな所為もあるけど。
 あれからもう2ヶ月が過ぎてしまっていた。
 時間というのは本当にあっという間だ。
 あの日以来、かすが私を悪口で呼ぶ事はなくなってしまった。
 少しさびしいような気もするけど、そのおかげで怒りメーターを振り切ることは結構減った。
 だから私も、かすのことを含みを込めて呼ぶのはやめている。
 それと、ひーちゃん命!という台詞もまったく聞かなくなってしまった。
 正直に言うと、これも面倒が減って良いのだが、なんだか拍子抜けしていたりもする。
 そして、ひーは輪をかけて私にべったりになってしまい、最近では私のキャパを完全に超えていると思う。
 いや、多分少し前まではまだ私のキャパに合わせてくれていたのだろう。
 だけど、どこかでリミッターがついに外れてしまったらしく、私はここ数日こんな登校ばかりだ。
 別にいやなわけではない。
 いやなわけではないのだけど。
「ひ、ひー。いい加減に離れてよ。歩き難い。」
 結局は、恥ずかしいのだ。いくらメーターを何百回何千回吹っ切ろうとも、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 だけど、やっぱりいやじゃないな。
 そう思うと少し頬が緩んでしまった。
 そしてひーはというと、結局離れてはくれなかった。

 教室の前に着いて、いつものようにひーを無理矢理に引っ剥がしてから二人と別れる。
 もちろん、ひーが嫌がっていたのは言うまでもないけど。まあ本人も私に気を使ってしぶしぶでも諦めてくれているのだろう。
 そうでなかったら、こうして私が解放されることなんてありえないのだから。
 そう思うと「はぁ。」と溜め息が出てしまう。
 だけどそれは、温かな思いからくる溜め息。それがわかっていてか、ひーはなんだか嬉しそうに微笑む。
「じゃあ、教室はいろっか?」
 そう私が言うとひーは「うん」と頷いて、一緒に教室へと入った。
教室には既に20人くらいのクラスメイトがいたけど、私は誰にも声をかけることなく自分の席に向い、そのまま椅子に座った。
 そんな私とは打って変わって、ひーはその全員に「おはよぉ~」と朝の挨拶をして、私の後ろの席に座る。
 そしてひーの周りには、男女二人ずつの4人グループが席を囲み、楽しそうにおしゃべりを始める。
 確か中学の頃もこんな風だった気がする。
 ひーはいつも元気で明るくて。優しくて温かくて。そして可愛くて。
 いつも誰からでも好かれてた。
 それに対して私は、愛想もないし明るくもない。だからいつもこうして一人になってしまう。
「昨日のテレビ見た?」とか「楽しかったよねぇ」とか「あの芸人さぁ~」とかそんな言葉が飛び交う中、私はカバンの中身を机にしまっていく。
 今日も退屈な学校生活が始まるのか。
 別に友達に囲まれているひーが羨ましいわけじゃない。
 むしろ私自身、静かな時間の方が好きだ。
 だけど、ひーの傍には居たいな。
 そんなことを思っていると「ねえひめちゃんひめちゃん!明日ひまかな?よかったら五人で遊びに行かない?」と4人グループのうちの一人―確か野島さん?がひーを誘う。
 でもひーは「あ。明日は用事があるんだぁ。せっかく誘ってくれたのに、ごめんねぇ。」と残念そうに断る。
 あれ?昨日私に『明後日どっかにいこうよぉ~』と遊びに誘ってたのに。一体なんの用事なのだろう?それにひーに用事があるのなら大抵私の耳にも入るのに、私はそんな話聞いていない。
 ひーの言葉をあれこれ考えていると目の前に一人の男子が立つ。
「やあ、りん。君はまるで教室の片隅にひっそりと咲くユリの」
 ああ、鬱陶しくて仕方ない。言い途中で悪いけど、すねでも蹴っておこう。
 そう決めるが早いか、私は坂本のすねを机の下から蹴っておく。
「いでぇ!?」と叫んですねを押さえ込む坂本。
 正直、この軽い男に付き合うことには、溜息しか出ない。
 そんな私の後ろでは「えぇ?行こうよ?この前だって行かなかったでしょ?」とか「そうだぜ、用事用事って言ってるけど、たまには息抜きもいるって!」とか言ってひーの説得をしている。
 私はそれを聞きながら、未だに痛がっている坂本に文句を言おうとするけど、急に肩が重くなった。
 そして「ごめんねぇ。だけど明日はりんとお出掛けするから。」という断りの言葉が耳に入る。でもまだそんな約束はしてない。だからひーのその言葉にツッコミを入れたい。
 だけど、私はそれどころではなかった。現状を一言で言うなら〝晒し者〟である。
「ちょ!?ひー離れて!恥ずかしいでしょ!?」
 私が顔を真っ赤にして叫ぶと、目の前で痛がっていた坂本は嬉しそうに立ち上がり「やっぱりリアルレズビアンはいいですなぁ。」と口にする。
「誰がレズビアンだ!?誰が!」
 そう言い返して私は思いっきり坂本のすねを蹴り飛ばす。
 すると今度は「うぐぁ!?」と声を上げて地べたを転がり回る。
 そんな私達に周囲は笑いを漏らし、四人組みは仕方なさそうに断りを受け止めていた。
 結局、ひーは先生が来るまで離れようとせず、私は恥ずかしさのあまりにうなだれていた。

「誰かこの問題わかるやつはいるか?」
 黒板に書かれた数式と先生のそんな言葉。
 だけど私は授業のことなど上の空で、ただただノートを書き写しながら、今朝の夢の事を思い出していた。
 ジェットコースターに乗れなかったあと、なにか乗り物に乗ったような気がするけど、なんだったっけ?
 思い出せそうで思い出せないのは、とても気分が悪い。
 こういう時は、やっぱりひーに聞くのが一番なんだろうなぁ。
 そう思って先生に気づかれないようにひーの方に視線を向ける。
 するとそこには、眠れる教室の美少女が一人。
 さっきから静かだと思えば、ぐっすりおやすみ中だったのか。でも、これじゃあ聞けそうにないなぁ。
 仕方ない。お昼休みまで待つかな。
 そう決めて前を見ると、丁度先生が出した問題に正解した男子生徒が先生に褒められていた。
 そして「キーンコーンカーンコーン」と授業終了のチャイムが鳴り響き、先生が「おっと。それでは今日の授業はここまで!きちんと復習しておくように!日直、号令!」と言って今朝の野島さん?が「規律!礼!」と言って、みんなが同時に「ありがとうございました!」と口にする。
 流石に寝ていたひーも起きただろう。
 そう思って後ろを振り向くと、私は自分の考えが甘かったことを痛感した。
 それはもう甘かった。
 甘過ぎて咽てしまうようなレベルで甘かった。
 例えるなら、たった一杯のレモネードに、蜂蜜をうっかり大瓶一本丸々使ってしまったような甘さだ。もはや蜂蜜でしかない気もするけど。
 それにしても、気持ちよさそうな寝顔だ。
 私は周りを見て、こちらを見ている人がいないことを確認して、ひーのほっぺたを人差し指でぷにぷにとつつく。
 突く度に指にはやわっこい感触が広がり、ひーの口の端からは寝苦しそうな声が漏れる。
 それが楽しくて楽しくて仕方なくて、そのままついつい突き続けてしまう。
「一体いつまで続ける気ですか?」
 不意に聞えた声にガバッと振り返ると、そこには少々呆れ気味なさくちゃんとひーの寝顔が見れた事が嬉しいらしく、頬を緩ませているかすがいた。
「え!?い、いや。こ、これは違うの!」
 そう咄嗟に口にしたけど、私は一体何を口走っているのだろう?
 心の中で自分に呆れながら、次の言葉を探していると、さくちゃんは軽く溜息を吐いて「いいですから、はやくひーさん起こしてください。お昼休みなくなりますよ?」と口にする。
 私は時計を確認して、慌ててひーを揺さぶり起こす。
 するとひーは、目を一擦りして「ふぁぁ~」と可愛らしい欠伸をする。
 そして私と目が合って「あ。りん~。おはよぉ。」とのんびりと言う。
 私がそれに「うん、おはよう。ていうかもうお昼休みだよ?」と言うとひーは時計へと目を向け「12時20分!?」と驚きの余りにそう叫んだ。
 うん、私でも驚いた。
 突く事に夢中で20分も時間が過ぎていたのだ。驚かない方が変だ。
「なんでもっとはやく起こしてくれなかったの!?」
 そうひーに涙目で聞かれて、私は「それは」と言い淀んでしまう。
「りんさんはひーさんの寝顔が可愛くて、起こせなかったんですよねぇ?」
 するとさくちゃんが意地悪な顔でそう言って、私は真っ赤になりながらも「ちょっとさくちゃん!?」と抗議の声を上げる。
 だけど、ひーはそんな私を気にせず、頬を赤らめて「ほんと?」と聞いてきて、私にトドメをさした。
 もうそこには逃げ場なんかなくて。
 私は「うん。」と小声で答えるしかなかった。
 そんな私に、ひーは照れくさそうな微笑みを返してくれた。
 そして、かすとさくちゃんは私たちを少し呆れた様な笑顔で見ていた。

 そのあと私たちはいつもの様にお弁当を取り出して、一緒に「いただきます」と言って食べ始める。
 彩お姉ちゃんの手作り弁当は、いつも可愛らしい飾り付けがされており、私は未だに、子ども扱いされている事を痛感する。まあ、可愛いのは嫌いじゃないけど。
 でも正直。可愛いのは困る。
 恥ずかしいとかそういうのも問題ではあるけれど、これはそういう問題ではない。
 考えてみて欲しい。お弁当の可愛いくまの顔を、少しづつ毟り取ってそれを食べる自分を。
 それがどれだけ残酷なことか。
 たしかに、お弁当のくまは生きてはいないし、食べられなければダメになってしまうだろう。
 だけど、どうしても箸でその顔を毟るのは躊躇してしまうものがある。
 そんな私の気も知らずに、ひーは目の前で美味しそうに可愛いウサギの顔をパクパクと食べていく。とても嬉しそうに。それはそれは嬉しそうに。
 なるほど。これが最近噂の肉食系女子というものなのだろう。なかなかに残酷だ。
 そう思っていると「りんさん、どうかしたんですか?」とさくちゃんが、箸がまったく進んでない私に声をかけてきた。
 私はそれに「う、ううん。なんでもない」と返しながらくまの顔に箸を突き刺す。
 痛そうだ。すっごく痛そうだ。ごめんね。ごめんねくまさん。
 そう心の中で謝りながら、鳥そぼろで出来たくまのほっぺたを一口食べる。
 うん、だけどやっぱり美味しい。
 でも、弁当箱のくまを見ると、罪悪感がじわじわと沸いてきてしまう。
「りん、さっきからどうしたのぉ?」
 そうひーに心配そうに聞かれて「いや、なんでもない。なんでもない。」と笑って返すけど、ひーの心配そうな顔が変わることはない。
 とりあえずなにか話でもしないと、しばらくこの心配そうな顔が続いちゃうなぁ。
 そう思ってなにか話題がないかと考えると、すぐに浮かんできたものがあった。
「あ、ねえひー。昔よく行ってた遊園地覚えてる?」
 それは今朝の夢に出てきた遊園地のことだった。
「香里園のこと?うん、覚えてるよぉ」
 とても懐かしそうな顔をするひー。やっぱり、あんまり見る事のない顔だなぁ。と思いながら「ちょっと今日の夢に出てきちゃって。」と口にする。
「そうなんだぁ、久しぶりに行きたいねぇ。ちっちゃい時は一年に一回は行ってたもんねぇ」
 そうひーは返すけど、隣にいるさくちゃんは「あれ?でもあそこは結構寂れてて潰れそうだとかいう話をよく聞きますけど。」と最近の評判を口にする。
 それを聞いたひーが少ししょんぼりとした顔をしてしまうと「さく!そんなことはどうでもいいんだよ!ひーちゃんが行きたいって言ってるんだ。文句はアタシが許さん!」とかすが大声を上げてさくちゃんに注意を飛ばす。
 そんなかすのリアクションを見て、私は久しぶりにかすらしい所を見た気がして、少し頬が緩む。
 それはさくちゃんも一緒だったらしく、頬を緩めて楽しそうに微笑んでいる。
 そしてかすは「な、なに?なんかアタシ変なこと言った?」と不思議そうに聞いてくるけど、私とさくちゃんは笑いながらに「なんでもないなんでもない」と返した。
「なんだかなぁ。とりあえず、明日休みだし。四人で行かないか?」
 かすは私とさくちゃんの態度に納得いかなさそうにしながらも、そう提案してくる。
 ひーはそれに真っ先に手をあげて「いく!絶対いく!」と大はしゃぎする。
 そして、私の方を見て「りんも行くよね?」と『行かないとおかしいよね?行かないわけがないよね?むしろ遊園地で遊ぶことこそが人生の全てだよね!』と言いそうな笑顔で私に聞いてくる。
 そんなひーに「大丈夫、私もちゃんと行くから。」と笑いながらに返すと、ひーは「やたー!」と子供のように、いや、もはや子供が喜んでいる。
「あとはさくだけだな。」
 そう言ってかすがさくちゃんの方を見ると、さくちゃんはとてもとても楽しそうな笑顔で口を開いた。
「かす姉には保護者が100%必要ですから、私も行きますよ」
「まてさく!それじゃあまるで私が他人に迷惑ばっかりかけてるうえに、自分じゃ何もできないみたいじゃないか!?」
 かすは不服そうにさくちゃんの言葉に食って掛かるが、さくちゃんは「え?かす姉は私に迷惑しかかけてないと思いますよ?それに、私が朝起こさなかったら、学校には毎日お昼に登校してくるレベルだと認識してますけど?」と返して、かすを黙らせる。
「あはは。でもりんもお寝坊さんなんだよぉ?朝ひーが起こしてあげないと起きられないのぉ」
 そうひーが嘘八百を二人に吹き込もうとしたところで、私は迷わずにその頭を引っ叩き「あんたが目覚まし止めてるからでしょが!」とひーを叱る。
「うぅ。りんがぶったぁ~」とわざとらしく涙目ながらに頭を押えるひー。
 私は「まったく。」と呆れながらも、心の中ではちょっと笑っていた。
 そんな私たちのやり取りにさくちゃんとかすがくすくすと笑う。
 そうして楽しい昼休みは過ぎていった。

 そしてまた授業である。
 とはいえお昼休み明け。眠そうな生徒や睡眠学習中の生徒がちらほら見受けられる。
 もちろん、ひーはその筆頭で私の真後ろでぐっすりおやすみ中だ。
 あ。そういえばさっき、香里園でなにに乗ったのか聞きそびれたや。
 そう思い出して、黒板をノートに書き写しているペンが止まってしまう。
 だけど、何に乗ったんだろ?
 なんだか高いところまで上がったような気がする。
 遊園地といえば、やっぱり観覧車だろうか?
 うん、なんだか観覧車だったような気がする。
 そうとわかれば、明日は絶対に乗らなくちゃいけないなぁ。
 私は考えが纏まって、ついつい頬が緩んでしまう。
 気がつけば、黒板はがぎっしりと埋まっていて、私が書き終わっているのはその1/3程度だった。
 私は慌ててノートに書き写していくけど、そんな私を追い詰めるように「キーンコーンカーンコーン」とチャイムが鳴り、先生が「日直、号令。」と言って野島さん?が「起立!礼!」と号令をかけてみんなが一斉に「ありがとうございました」と言う。
 そしてそのまま黒板は野島さん?とそれを手伝う女の子―佐藤さん?の手によって消されて行ってしまう。
 私は「はぁ」と溜息を吐いて黒板を写すのを諦めて、後ろを振り向く。
 すると、そこにはやっぱり眠れる教室の美少女が一人。
 やはり、こういうものは目覚めの―
 そう考えたところで頭をぶんぶんと振り、思い浮かべようとしていた内容を消し去る。
 でも、今日の授業はこれで終わりだ。あと五分もすれば先生が来て、帰りのホームルームになる。
 だから私はそんなひーに彩お姉ちゃん直伝のチョップをお見舞いする。
「ドスッ」という鈍い音共に、ひーはガバッと起き上がりキョロキョロと周囲を見回しまくる。
 そして私と目が合うと、ひーは恨めしそうな涙目をしてきた。
 だけど私はそれを気にせずに「おはよう」と笑顔で言ってあげる。
「おはよぉ。りん、痛かった。」
 私に挨拶を返しながら、ジト目で抗議の声を漏らすけど、実際は頭を撫でるように催促しているだけだったりもする。
 私はくすくすと笑いながら「ごめんごめん。」と言ってひーの頭を撫でてあげる。
 するとひーは目をとろろんとさせて、子犬のようになすがままに撫でられる。
「こらそこ。いつまでもイチャついてるな。ホームルーム始めるぞ」
 不意に聞えたその声にガバッと振り向くと、教団には既に担任の―え~と。田中?田鍋だったか?いや山田だったかもしれない。まあとりあえず、山田先生?がいて、クラスメイトのほぼ全員が私達の方に意味あり気な視線を向けていた。
 結果。私の恥ずかしさメーターは一気に最大値を超えてしまい、ホームルームの内容はまったく頭に入ってこなかった。
 そして、クラスメイト達が教室から出て行き始めると、不意に肩が重くなって私の頭はやっと正常に動き始める。
「りん~。はやく帰ろう?」
 そう耳元で聞こえるひーの声に「そうだね。だけどとりあえず、恥ずかしいから離れて。」と返す。
 だけどひーは「えへへぇ~」と笑ってまったく離れようとしない。
 私は諦めの溜息を吐いて、教科書を鞄にしまっていく。
 そういえば、何故ひーはこうも私にべったりなのだろうか?
 昔のひーは、もっとこう。なんというか、大人しかったような気がする。
 いつからこんなにベタベタちょろちょろするようになったのだろう?
 そんなことを考えていると、教科書は全て鞄の中に納まってしまう。
 やっぱり、本人に聞いてみるのが一番なのだろうか?
 そう思ったけど、私は教室のドアから顔だけ出してこちらを見ているかすがいることに気が付いて「ひー?かす達も待ってるんだから。離れて。」と口にする。
 するとひーは離れてくれたけどすっごく不機嫌そうな顔をしていた。
 だけど私が立ち上がるやいなや、ひーは私の腕にガバッとダイブしてきてそのまま私にまたべたべた。
「わ!?ひー。もう。」
 驚きながらも、そんなひーにちょっと温かな呆れを覚えた。
 そして私がひーをつれて廊下に出るなり「りんさん、なんでしたら代わりましょうか?」とさくちゃんがにこやかに声をかけてくる。
 この顔は知っている。私をからかう為の顔だ。
 しかも、YESと答えても、NOと答えても私は間違いなくからかわれるだろう。
 だけど、私が悩んでいると「ひーはりんがいいなぁ」と屈託のない笑顔で言われ、私は一気に顔が熱くなってしまう。
 まったく。今日は恥ずかしいことだらけだ。きっとこのまま順当にいけば、火くらい噴けるようになるに違いない。
 そんな私に「ごちそうさま」とさくちゃんが悪戯っぽい笑顔で言って、かすが楽しそうにくすくす笑った。

 いつも通りガラリと空いた電車内。
 私達は当たり前の様に四人掛けの席で明日の事を話していた。
「明日の待ち合わせはどこにしよっかぁ?」
 というひーの言葉に私が「どうせ香里まであんま距離もないんだし、現地集合いいんじゃない?」と返すと「そうだな、アタシはそれで全然OK」とかすが同意してくれる。
「あとは時間ですね。確か開園は10時なので、10分前に待ち合わせれば大丈夫だと思います。」
 そうさくちゃんがみんなに言うと、ひーはもう待ち切れなさそうに「早く明日にならないかなぁ?」と呟く。
 そして私達はそんなひーの呟きを聞いて、くすくすと笑った。
 するとひーは頭に?をポンポンッと浮かべて「みんなどうしたのぉ?」と聞いてくる。
「いえ、ひーさんが可愛らしくて、つい。」
 そうさくちゃんが言うと、ひーは迷わずに私のほうを見て「ほんとぉ?」と尻尾をこれ以上ないくらいに振りまくる子犬の様な顔をして聞いてきた。
 どうしよう?なんだかこれ以上ないくらいにいじめたい。
 そう思うが早いか、私の口からは「ひー。それさくちゃんの嘘だよ?」という言葉が漏れていた。
 その途端、ひーは一気にしゅんっとなって、振られていたであろう尻尾はそのまま地に落ちてしまう。
 そして私が「あはは、冗談冗談。ひーはすっごく可愛いよ」と笑いながらにひーの頭を撫でると、落ちていた尻尾は瞬く間に先ほど以上に大きく振られ、私にそのまま抱きついてくる。
 そんなひーを落ち着かせるのに手間がかかったのは言うまでもなかった。
 そして電車はそのままゆったりと速度を落とし「緑ヶ丘~緑ヶ丘~。降り口は右側です。御忘れ物のないようにご注意下さい。」と聞きなれたアナウンスが流れ、電車がホームに入る。
「じゃあまた明日。」と私がさくちゃん達に言うと、ひーも「二人ともまた明日ねぇ~」と二人に言う。
 それに「じゃあまた明日なぁー」とかすは片手を振り、さくちゃんは「それではまた明日」と礼儀正しく返してくれる。
 それを確認した私達は、電車を降りてそのままホームをあとにした。

 夕暮れにはまだ早い駅前。季節が季節だけに、この時間帯はまだ暑い。
 雑多の中を私達は家に向かって歩いていく。
 だけど、周りの視線がこちらに向いていて、正直居心地が余りよくない。
 もちろん理由は、間違いなく私の腕に絡みついて歩くひーなのだろうけど、言っても離れてはくれないんだろうなぁ。
 そう心の中で諦めながら、いつも通り家へと続く小道へと入る。
すると不意に「にゃ~ご」という声が聞こえて目を向ければ、相変わらず気だるそうな猫が私達の方を見ていて、ひーが「ただいまぁ猫君」と挨拶を返す。
 私はひーに気づかれないように「ただいま」とぼそりと返して、猫に今日あった出来事を話すひーを眺める。
「今日のお弁当がすっごい可愛いウサギさんでおいしかったんだよぉ」とか「それからそれから、坂本君が先生が立つ教壇に悪戯してねぇ~」とか。
 そんな風な事をいいながら楽しそうに笑っている。
 そういえば、ちょっと前までの私はそんなひーを放っておいて、そのまま家に帰ろうとしてたなぁ。
 今思えば、猫への報告くらい待ってあげてもいいのに、なんで待ってあげなかったんだろ?
「そうそう!明日はりんとかすちゃんとさくちゃんとひーの四人で遊園地行くんだよぉ?いいでしょぉ?」
 待ってあげるくらい、別にたいした事じゃないのにね。
「それからそれから夏休みはねぇ~」
 そう待ってあげるくらい。
「それで二学期には文化祭でぇ~」
 なんてこと。
「それから冬休みにはぁ~」
 ある!
 気がついた時には既に日も傾き、夕暮れ時になってしまっていた。
「それでそれでお正月はねぇ~」
 そう猫に報告―すでに報告の域を超えている何かを続けるひーに「ひ、ひー?ひーちゃん?ひーさん?お願いだから、そろそろ切り上げて家に帰らない?」と半ば涙目ながらに私がお願いすると、ひーは「へ?」と間の抜けた声を漏らす。
「へ?じゃないから。あんた一体いつまで報告する気なの?私はいつまで待ってたらいいの?」
 そう私が返すと、ひーは「う~ん。」としばし考えて、何か閃いたのか手をポンッと打って「りんも一緒に猫君とお話ししよう!」と口にしてきた。
「いや、しないから!ていうかもう置いて帰るよ?」
 私が色々諦めてそう口にすると、ひーは「えぇ~?」と捏ねた声を上げるが、私は「帰る!帰る帰る帰る!」と言ってそのまま家の方へとずかずか歩いていく。
「あ!ちょっと待ってりん!またね猫君!待ってぇ~!」
 そうひーが声を上げるけど、誰が待ってやるもんか。そもそも、軽く一時間放置されて、それを待ってあげる様な奇特な人間の方が珍しいというのに。それとも私をこれ以上珍しくしたいのだろうか?
 心の中で怒りながら歩いていると、不意に右手がぎゅっと掴まれて、私は足を止める。
「ひー。歩けない。」
 だけど私がそう言っても、ひーは何も返さなかった。
 だからちょっとだけひーのことが気になって顔を向けてみると、涙でくしゃくしゃになった顔のひーが居て、私は驚いて「ちょ!?ひー!?どうしたの!?」と声を上げてしまう。
 すると「うぅ。りんがひーを置いてっちゃうから。だから。だから。」と涙ながらに口にするひー。
 私は仕方ないなぁと思いながら「はぁ。」と溜息を吐いてひーの頭をくしゃくしゃと撫でながら「大丈夫。置いていかないから。」と言ってあげる。
 けれどひーは私の言葉が信じれないのか「ほんとに?」と確認してくる。
 それに私は「もちろん」と答えて笑ってみせた。
 家の前に着く頃にはひーの頬からは涙は消えていて、いつも通りの明るいにこにこ顔がそこにはあった。
 そしてひーは「またあとでね」と言って私から離れる。
 そんなひーに私は「うん、またあとで」と返して、ひーが自分の家のドアを開けて、そのまま中に消えていくのを見送った。
 そして私も自分の家のドアを開けて「ただいま~」と口にすると、リビングの方から「りんちゃんおかえりー」と彩お姉ちゃんの声が返ってくる。
 私は玄関で靴を脱いで、そのままリビングへと入り、キッチンに立つ彩お姉ちゃんに「今日もお弁当おいしかった。」とお礼の意味を込めた言葉口にして、私は彩お姉ちゃんの隣で空になったお弁当を洗い始める。
「よかったぁ、ありがとう。」
 そう私の言葉に返して、彩お姉ちゃんは煮物のフタを開けて中の具合を確認すると「よし!」と言って楽しそうに笑って「りんちゃん、もうごはんだから、お弁当洗い終わったらお茶碗にご飯よそってくれるかな?」と私にお願いしてくる。
 私はそれに「うんっ」と答えてお弁当箱の泡を水で洗い流すと、それを水切りに立てて、夕食の準備を始める。
 そして私が色々準備していると「ありがとう、りんちゃん。」と彩お姉ちゃんが言ってくれるけど、私は色々お世話になっているんだから、これくらいして当たり前のような気がしてならないけど、それは口にしない。
 だって、チョップが怖いから。
「バシッ」
 しかし、口に出さなくても彩お姉ちゃんにはバレるものなのである。もしかすると彩お姉ちゃんはエスパーかなにかで、私の心を読んでいるんじゃないだろうか?
 いや、それはないか。というか叩かれた所が「痛い」です。はい。
「りんちゃん?また迷惑かけてる~とか当たり前~とか思ったでしょ?」
 うん、完全にバレてる。
「はい。思いました。」
 私は誤魔化すことをせずに正直に答える。というか、誤魔化しが効かないのは既にわかっているので、やるだけ無駄というやつだ。
「言う事は?」
 そう聞かれて私は「ごめんなさい。」と素直に謝ると「よろしい」と彩お姉ちゃんはにっこりと笑ってお皿におかずを盛り始める。
 それから数分もしないうちに彩お姉ちゃんがおかずを盛ったお皿をテーブルに並べて、最後にお味噌汁を持ってくる。
 そして二人で向かい合って座って、手を合わせて「いただきます」と口にする。
 病院食のお味噌汁とは違い味がよく出ていて、鯖の塩焼きもとっても美味しい。煮物もよく味が染みてるし。
「おいしい」
 だから心の底からそう思えるし、ついついそう口にしてしまう。
「ありがとう。」
 そんな私に、笑顔で言ってくれる彩お姉ちゃん。
 本当に私は幸せだな。
 ひーが居て。
 彩お姉ちゃんが居て。
 みんなが居る。
 本当に幸せだ。
「りんちゃん、なんだか嬉しそう。何かいいことでもあったのかな?」
 そう聞かれて、私は「いつもが楽しいし、嬉しい。」と笑顔で答えた。

 ごはんを食べ終わった私はお風呂に入ったりしてひーを待っていた。
 だけど―
 ひー、来ないのかな?
 そう思った頃には、既に時計は十時を回っていた。
 いつもであればごはんを食べ終わった頃に来るのだが、さっぱり来る気配がない。
 少し気になるけど、正直眠い。
 なんで来なかったかは、明日にでも聞こう。
 そう決めた私は、部屋の明かりを消して、ベッドに潜り込み、誰に言うでもなく「おやすみ」と口にした。

 気がつくと、私はまたそこに佇んでいた。
「ねえ、ひーちゃん。あれ、乗らない?」
 セミショートにさくらんぼのヘアピンをした女の子が綺麗な長い髪の女の子に恥ずかしそうに言いながら、観覧車を指差していた。
 そうすると長い髪の女の子は「え?う、うん。いいよ。」とそれに恥ずかしそうに返して、二人で観覧車に並んだ。
 しばらくして順番が来ると係員のおじいちゃんが女の子達に「おや。仲の良い子だねぇ。お友達かな?」と訊ねる。
 するとヘアピンをした女の子が「こ、――です。」と答えて、それを聞いた係員のおじいちゃんは楽しそうに笑って「そうかいそうかい、それじゃあ楽しんでおいで。」と口にした。
 そして、空へと昇っていくゴンドラの中で、長い髪の女の子―ひーが私の方を見て、口を開く。
「ねえ、りん?起きてる?」

 パチリと目が開くと、部屋の中はまだ真っ暗だった。
 不意に後ろの方で人の気配がして、背筋が凍る。
 誰?
 彩お姉ちゃんなわけないし。
 ひーも流石にこんな真っ暗な時間にくるわけないし。
 誰?ダレ?だれ?
 正直に言えば、悲鳴を上げて泣きたいくらいに恐い。
 だけど、そうしてしまったら間違いなく殺されてしまう。
 布団が少しだけズレて、誰かが潜り込んでくる。
 恐い。怖い。こわい。
 私の心は恐怖で満たされてしまう。
 ひー助けてよ。彩お姉ちゃん。お母さん、お父さん。
 助けを求める度に頬を涙が伝っていく。
「えへへぇ。りん~。」
 楽しそうなひーの小声が聞こえて、私の恐怖は一瞬にして溶けてなくなる。
 だけど私は、怖がらせた事に文句を言いたくなってしまい、口を開こうとした。
「りん。ずっといっしょだよ。」
 でも、不意に聞こえたその言葉に私の怒りは蝋燭の火を吹き消すように消されてしまう。
 そして追い撃ちのようにそのまま腕をぎゅ~っと抱きしめられて、私は結局何も言えないまま、寝たふりをすることとなってしまった。

 朝起きると、目の前にはひーの幸せそうな寝顔とその羨ましいくらいに大きな胸があった。
 どういう状況かというと「なんで私思いっきり抱きしめられてんの?」
 そう。抱きしめられている。それはそれは見事なくらいに抱きしめられている。
 昨日の夜抱きしめられた時は、腕だけだったはずだ。
 どうやったらこんな状況になるのだろう?
 いや、そんなことよりこの状況だ。どうしてこんな状況になったかという謎よりも、この状況の方が問題だ。
 もちろんこの状況で私が思うことは、嬉しい!とか。幸せ!とか。ここは天国ですか!?とかではない。
「あ、暑い。そして苦しい。」
 うん、すっごく暑い。だって今は七月だ。暑苦しい以外のなにものでもない。
 これが冬とかであれば、ぬくぬくで温かくて気持ち良いのだろうけど、今はこれ以上ないくらいに夏真っ盛りなのだ。
 私は机の上に置いてあるエアコンのリモコンにベッドから手を伸ばすが、まったく届きもしない。
 このままでは、私は蒸し殺されてしまう気がする。
「んぅ~。りん~。」
 そんな私のことも知らずにひーは気持ち良さそうに寝言を漏らし、私をさっき以上に強く抱きしめてくる。
「あ、あづい。ぐるじぃ。」
 額を汗が伝う私は押し付けられた胸の中でそう口にして、どうにかひーの胸から脱しようともがくが、もがく度にひーは寝苦しそうに「うぅ~。」と口にして、抱きしめる腕を強めていく。
 このままでは本当に暑さで死んでしまう。
 そう思った私は、息をすうっと吸って「いい加減に起きろぉー!」と叫んだ。
 すると、ひーの瞼が重たそうに少しだけ開かれ「ふわぁ~」という可愛らしい欠伸をする。
 そして私をその目で確認すると「あ。りんだ~。」と口にして、ぎゅ~っと抱きしめて、しめて、しめて「ちょ!?ひー!しめ過ぎ!苦しいって!」
「あ、ごめんねぇ。えへへぇ~」
 ひーはあっけらかんとして笑いながら腕を緩めてくれる。
 でも放してはくれないわけね。
 そう心の中で一人文句を言いながら時計を見れば既に9時である。
 別に予定があるわけでもないし。とりあえずあとでお風呂に。
 そんなことを思っているとひーが「あ!りん起きて!時間時間!」と言って私を慌てて起き上がらせる。
「時間って。今日は日曜日じゃない。」
 そう私が突っ込みを入れると、ひーは迷わずに「香里園!」と口にする。
「あ。」
 はい、すっかり忘れていました。
 むしろ朝から散々な目に遭った所為でそのことを思い出す余裕すらありませんでした。
 そう心の中で言い訳をして、私は迷わずにひーの襟首を引っつかみ、部屋から引きずり出すと「家に戻ってシャワー浴びて、着替えたら家の前で待ってて!」と用件を伝える。
「一緒にシャワー浴びたいなぁ」
 そしてそんなふざけた事を言うひーに「そんな時間ないでしょ!」と言って、部屋のドアをバンッと思いっきり閉めた。

 そのあと、私はシャワーを浴びて、部屋で出掛けようの服に着替えると、いつものように姿鏡で格好を確認していた。
 相変わらずな赤毛交じりの髪と本当に高校生としては小さすぎる胸。
 こういうことだけは、中々変わりはしない。
 私は「はぁ。」と溜息を一つこぼして、小さな鳥籠の中でシトリンが揺れているネックレスを着けた。
 そして部屋を出て階段を下りると、そのままリビングへと入る。
「りんちゃんおはよう。」
 彩お姉ちゃんの挨拶に「おはよ!」と元気に返して、私は隣の和室に入り、仏壇の前に座る。
 蝋燭に火をつけて、線香を焚く。
『今日は久しぶりに、ひーと一緒に香里園に行ってきます。いっぱい遊んで帰ってきます。』
 ラベンダーの香りに包まれたまま、目を閉じて手を合わせてお母さんとお父さんにそう言うと私は目を開く。
 そして蝋燭の火を手で掻き消す。
「いってきます!」
 そう口にして私は立ち上がり、リビングに居る彩お姉ちゃんに「ひー待たせてるから行って来るね!」と言って、そのまま玄関へと向かう。
 もちろん、彩お姉ちゃんの「気をつけてね」という優しい言葉に「うんっ」と返して。
 そして私はサンダルを履いて、ドアを開きながら「いってきます!」と元気よく口にした。
 その先にある空は、とても晴れ晴れとした―
「ゴンッ」
 晴れ晴れとした―
 うん、微妙に開かれたドアの隙間の向こうには、晴れ晴れとした空が広がっていた。
 そろりそろりとドアの隙間から顔を出すと、そこにはおでこを押さえ込んでいる女の子がいた。
 可愛らしい洋服を着た、よく見知った女の子。
「ご、ごめん。」
 そう私が口にすると、いつかのようにぶんっとおでこを押さえたまま顔を上げて、私に頭を撫でろと言いたげな涙顔でこっちを見る。
 だから子供っぽくて可愛いんだってば!
 そう心の中でツッコミを入れながらドアの隙間から外に出て、ひーの頭を撫でてあげる。
「痛かった。たんこぶできた。」
 そうぼやくひーの目は、やっぱり嬉しそうで。
 私は「うん、ごめんね」と口にして頭を撫でてあげる。
 するとひーはしばらく不機嫌そうな顔をしていたけど、すぐに「えへへぇ」といつものように笑う。
「それじゃあ、いこっか」
 そう私が口にすると、ひーは「うんっ!」と言って私の腕に抱きついてくる。
 まったく。本当に甘えん坊だなぁ。
 私はそう思いながらも、熱い日差しの中を駅に向かって二人で歩いた。

「遅いぞりん!」
「20分の遅刻ですね。」
「罰としてこの場でリアルレズプレイを見せてもらおうか!」
 それが香里園に着いた私とひーを迎えた言葉だった。
 約一名が発言とほぼ同時に蹴りまくられているのは言うまでもないけど。
「ごめんごめん。それで、なんで坂本がいるの?」
 私は二人に謝りながら、本来この場に居ないはずの軽い男についてかすに聞くと「よくわからないけど、アタシ達が来た時には既に居たわ。」と答える。
「そ、それはだな。たまたま香里園のフリーパスが五つあって、丁度いいからもって来たわけだ」
 私の問いに、蹴られながらもそう答える坂本。
「あ。まさひこ君もついて来るんだ。」
 そうひーが口にすると「え?」と私と一緒にかすも嫌そうな声を漏らす。
「まあ、出費が減る事を考えれば、悪くはありませんね。でも、大人しくしてないとどうなるか、わかってますよね?」
 冷たかった顔を一瞬にしてにっこり笑顔に変えて坂本に言うさくちゃんは、凄まじく怖い。
「は、はい。」
 顔を青ざめながらそれに頷く坂本が少し可哀想に思えてしまった。
「とりあえず、入ろっか」
 そう私が口にすると「そだなぁ!いろんなもの乗りたいし、さっさと入ろう!」とかすは私に同調してくれるけどなにやらハイテンションだった。
 そしてひーはというと「何に乗ろっかなぁ~」と既に子供モードだ。
 中に入った私達を迎えたのは、夢や思い出の中にある楽しそうな雰囲気とは違う、とても静かで、とても寂しい空気に満ちた遊園地だった。
 噂通り、ほとんどの乗り物は動いておらず、一人か二人くらいの人が乗っている乗り物だけが動いている。
 そんな光景を私は、どうしても悲しいと思ってしまう。
 あんなに楽しかったのに、なんでこんな風になってしまっているのだろうか?
「りん、あれ乗ろ!」
 そんな私を励ますように、ひーは私の手を引いて、ジェットコースターを指差す。
「そういえば、最後に行った時も乗れなかったね」
 そう私が返すと「そうだよそうだよぉ!だから。ね?」とにっこりと微笑んでくれるひー。
 そっか。
 別に場所じゃないんだよね。
 ひーが傍に居てくれる。
 それが大切な事。
 お母さんとお父さんがそうしてくれていたように。
「じゃあ、乗りにいこっか」
 私が笑顔でそう口にすると、ひーは「うんっ」と嬉しそうに言って『はやくはやく!』と私を急かすように手を引張って行く。
 そんな私達に「ほんと。ラヴラヴですねぇ~」とからかってくるさくちゃんと「二人だけでずる!アタシだって乗る!!」と元気に言うかす。
 私の周りには、色んな人が居る。
 そのことを、本当に嬉しく思う。
 そして、私達がジェットコースターの前に着くと、係員さんが電源を入れて、ジェットコースターのランプがピカピカと光り出す。
 私はふと慎重制限のボードに目を向ける。
『120cmいじょうだよ!』という台詞と一緒に男の子の絵が書かれた古くなって所々補修されているボード。
「懐かしいね。」
 そうひーに言われて「そうだね。」と返す。
 そしてひーに「乗ろう!」と言われて、手を引かれるままに中に入り、一番先頭の席に座らせれてしまう。
 そんな私に「あ!りんずるいぞ!アタシだって先頭が」と駄々を捏ねだすかすの耳を、さくちゃんが引張りながら「はいはい。二番目でいいですよね、かす姉?」と言って「痛!さくやめ!」と叫ぶかすを気にせずにそのまま二番目に座る。
 ちなみに坂本は三番目で一人ぼっちだった。
 そして係員さんがジェットコースターの安全具を確認して「発進しまぁす!」と言うと「ピロリロリロリロ!」という電子音が鳴り響き、ジェットコースターが動き始める。
 ゆっくりゆったりと坂を登って行き、一番上に辿り着く。
 そして。
 一気に落ちた。

 降りて一番に私が思ったことは、今後絶対絶叫マシーンに乗りたいと言わないということだった。
 ひーやかす、そしてさくちゃんはなんともないようだけど、私は自分の顔が少し青い気がしてならない。
「しくしく。なんで俺だけ。」
 坂本は別の意味で大丈夫じゃなさそうだ。
「りん、大丈夫?」
 そう聞いてくれるひーに私は「大丈夫。ありがと」と返すけど、正直あまり大丈夫ではない。
「さぁて!次は何に乗る?」
 そう元気ハツラツなかすが私の状況を気にせずに聞いてくるけど、正直かすらしいので悪い気はしない。
「メリーゴーランド」
 ふと気がつけばそう口から言葉が漏れていて「メリーゴーランド?」とひーに聞き返されて、はっと我に返るが、時既に遅し。
 かすは「この年でメリーゴーランドはないだろ。」と白い目を向けてきており、さくちゃんはというと「あはは」と呆れてどう返すか困った果てに笑っていた。
 坂本はニタァっという笑顔を浮かべていたけど、正直どうでもいい。
 はぁ。穴があったら入りたい。
 そう心の中で思っていれば、ひーが恥ずかしそうに口を開く。
「ひーも乗りたい。」
「え?」私とさくちゃん、そしてかすの声が同時に漏れた次の瞬間には「そ、そうだよね!アタシも乗りたい!」と言い始めるかす。
「わ、私は乗りませんよ?」
 そうさくちゃんは、じりっと一歩下がりながら口にするけど、かすがさくちゃんの耳元で何かを言って「こ、今回だけですよ。」と不機嫌に了承していた。
「俺は乗らないぞ!」
 そう口にする坂本には、誰も反応しなかったのは、彼が男だったからだと思いたい。
 メリーゴーランドの前まで行くと、さっきと同じように係員さんが電源を入れてくれる。
 すると、さっきまで静かだった遊園地に懐かしいメロディーが響きはじめる。
 そして、ピカピカと点滅する色鮮やかなライト。
 私たちは中に入って、それぞれ好きなものに乗る。
 かすは恥ずかしそうに近くにあった馬に。さくちゃんは顔を朱に染めながら、不服そうに馬車に。
 そして私とひーは、昔よく乗っていたかぼちゃの馬車に乗りに行く。
 かぼちゃの馬車は思い出よりも小さくて。
 そして夢の中とは違い、色褪せてたり、塗料が剥げていたり、傷がついていたりする。
「乗るの、何年ぶりかな?」
 そう口にしながら乗り込むと、あとから乗ってきたひーが「8年と三ヶ月半くらいだね」と懐かしそうに笑う。
「そっか。そんなに経つんだね。あっという間に大きくなっちゃった気がする。」
 私のその言葉にひーは「そうだねぇ。確かにそんな気がするねぇ」と言ってくれる。
 そして、ゆっくりとメリーゴーランドが回り始める。
 外の景色がぐるぐる回る中。
 目の端に誰かがこっちに手を振っていた。
 私は慌ててカボチャの馬車から身を乗り出すけど、そこには誰もいなかった。
 誰も、手なんか振っていなかった。
 ほんの少しの寂しさと、ほんの少しの失意のままに、私はかぼちゃの馬車の中に戻る。
「りん。」
 私の名前を読んで、抱きしめてくれるひー。
 わかってる。
 わかってるけど。
 懐かしすぎるよ。
 私は多分泣いていると思う。
 泣いていなかったら、いつものように恥ずかしがれるから。
「私って、泣き虫だね。」
 そう私は口にする。
 だけどひーは私の頭を撫でながら。
「泣きたい時には泣けばいいよ。笑いたい時は笑えばいい。それはきっと、りんがりんである為に必要なことだから。大切なことだから。」
 そう言ってくれた。
 私は、その言葉に「ありがと。」とだけ口にした。
 それからしばらくするとメリーゴーランドが止まって、私は涙を無理矢理に拭く。
 そして、ひーはそんな私から離れて「次はなにに乗ろっかぁ?」と何事も無かったかのように聞いてきてくれる。
 その優しさが、とても嬉しかった。

 そのあと私たちは色んなものを乗り回って。
 みんなでお昼ご飯を食べて。
 そしてまた色んなものを乗り回って。
 気が着けば時計の針は5時を指していた。
「あと一時間で閉園ですね。」
 もうあと一時間なのかぁ。そろそろ観覧車乗らないと、乗れなくなっちゃうなぁ。
 そう思っていると「あ、でもまだ観覧車とか他にもいくつか乗ってないぞ?」とかすが言って、ひーが「あの観覧車一番上まで行けば私の家とかも見えるんだよぉ!」と大はしゃぎする。
「じゃあ、観覧車乗りいこっか」
 そう私が笑うと「うんっ」とひーが笑う。
 そんな私たちにつられて、みんなも笑う。
 私たちが乗り場の前につくと、係員のおじいちゃんが立っていた。
 その背には思い出の中にある通り、きらきらと光り輝きながら回る観覧車。
「おや。両手両足に華かのぉ?だけどこの観覧車は4人乗りでなぁ」
 それを聞いた坂本が「そうでしょうそうでしょう!そう見えますよね!」と大喜びする。
 だけど私は、おじいちゃんに「いえ、彼は一人で乗りますので。」とニコリと笑うとおじいちゃんは大笑いする。
 それに反比例して坂本は一気にげっそりした顔になる。
「もう。仕方ないですね。私達が一緒に乗ってあげますから、そんな顔しないで下さい。楽しい気分がぶち壊しになります。」
 そんな坂本に冷たく、だけど温かく言うさくちゃん。
「ありがたく思えよ?」
 そう言ってにししと笑うかす。
 意外とこの三人は仲が良いものだ。
 そして、一つのゴンドラが回ってきて、三人は先に観覧車に乗る。
「さて。さっきの子達も仲が良いけど、君達も本当に仲が良いねぇ。」
 そう笑うおじいちゃん。
 そんなおじいちゃんにひーは近付いて、耳打ちで何かを伝える。
 するとおじいちゃんは「そうかいそうかい」と一段と嬉しそうに笑う。
「なんて言ったの?」
 私が聞いても、ひーは「なんでもないよぉ」とにっこり笑って教えてはくれない。
 変なひー。
 そう思っていると、また一つのゴンドラが回ってきて。
 おじいちゃんが優しく笑って。
「さあ、楽しんでおいで。」 
 そう私達に言ってくれる。
 私とひーは「ありがとうございます」とそれぞれに口にして、ゴンドラに乗った。
 ゆっくりゆっくりと上がって行く。
 空へ空へと昇っていく。
 気がつけば地面はとても遠くて、色んなものが小さく見える。
 そして天辺まで来れば、香里の町が。私達の通う学校が。私達の住む町、緑ヶ丘が。
 何より、私の家とひーの家が。
 小さくだけど、よく見える。
 その光景を「わぁ~。昔とおんなじだぁ。」と嬉しそうに眺めるひー。
 私はそんなひーを幼馴染として。家族として。
 本当に愛おしいと思う。
「ひー。」
「え?なぁに?」
 なによりも大切で、どんなことよりも大事な人。
 ひーの為なら、なんだってしてあげたい。ひーのお願いならなんだって叶えてあげたい。
 多分ひーは嫌がるけど、ひーの為ならきっと幾らだって傷つける。だから、ひーを守りたい。
 ひーが私にしてくれたように。私も、ひーを守りたい。
 私は本当にひーのことを家族として「愛してる。」
「ふぇ?え?えぇ!?い、いや、その。えっと。あ、あれ?あれれ?」
 しどろもどろにするひー。
 その頬は、何故か真っ赤で。
 とっても恥ずかしそう。
 こんなひーを見るのも、なんだか久しぶりな気がする。
 最後に見たのはいつだっただろう?
 全然思い出せない。
 そんなことを思いながら、ひーが落ち着くのをくすくすと笑いながらに待つ。
 そして、観覧車が残り1/4を切った所で、ひーは目を瞑って、深呼吸をする。
 息を吸って。吐いて。また息を吸って。吐いて。
 そしてひーの目が開いて、私の目をその黒い綺麗な瞳で見つめて、
「ひーだって。りんのこと。愛してるよ。」
 そう今にも消え入りそうな小さな声で言ってくれた。
 そしてゴンドラは地面へと着いて、ドアが開かれると「おかえりなさい。」と若いお兄さんが私達に声をかけてくれる。
 私とひーはゴンドラを降りて「ありがとうございました」と口にしてさっきのおじいちゃんを目だけで探すけど、おじいちゃんは既にいなくなってしまっていた。
 帰ってしまったのだろうか?
 そう思いながら観覧車を振り返ると、そこには思い出のそれとは違う、寂しそうな観覧車がゆっくりと回っていた。
 私は少し寂しく思いながらもひーと一緒に、ベンチで待っているみんなの所へと歩いていく。
「他になにか乗りたいものとかありますか?」
 そうさくちゃんに聞かれるけど、私は首を振る。
 かすは手を上げて何か言いたそうなのに、そうしない。
 多分さくちゃんに何か言われたのだろう。
「ひー、もう一つだけ乗りたいのがある。」
 そう口にするひーにさくちゃんが「じゃあそれに乗ったら帰りましょうか。もうあと30分で閉園ですから。」とやんわりと言う。
「それでなにに乗りたいの?」
 私がそう聞くと、ひーは「あれ!」と大きな傘のような何かを指差す。
 そして私達がそこに行くと、その大きな傘の下には沢山のゴンドラが繋がれていて、それに乗るようだった。
 そして、係員さんが電源を入れていると、ひーが「りん、ジェットコースター乗れなかったあとのこと、覚えてる?」と聞かれる。
「確か、私が泣いて、ひーが慰めてくれたよね。」
 そう返すと、ひーは「そうだよぉ」と嬉しそうに笑う。
 だけど私が「それから、観覧車に」と口にすると、一気に不機嫌な顔になり、頬をぷぅ~っと膨らませて「違う。これに乗ったのぉ!」と怒る。
「あ、あれ?」
「あれじゃないよぉ。もぉ~。りんの忘れん坊!」
 ひーに怒られていると、背中で私達のやり取りを見て笑う三人。
「りんはいつもいつも。」
 その三人に一言言ってやりたいけど、今は目の前のひーをどうにかしなくては。
 そう思っていると、係員さんが「どうぞ。」と言って中へと招き入れてくれる。
「ほ、ほらひー。乗ろ乗ろ!」
 私はそう言って、先に中に入ってコンドラへと乗り込む。
 もちろんひーは「あ!りん!待ってよぉ!」と怒りながらも楽しそうに追いかけてくる。
 そしてゴンドラのドアが閉められ、傘が回り始める。
 ゆっくりゆっくり回り始める。
 ゆっくり、ゆっくり、周りの景色が速くなって行く。
 あれ?
 ゆっくり?ゆっくり?回る?
 ゆっくり?ゆっくり?回って?
 ない!
「絶対速い!だれかたすけてぇ!」
 そう私が叫ぶけど、ひーは楽しそうに笑っていた。

 その日、家に帰り着いた私は、仏壇の前で朝と同じように手を合わせていた。
 そして今日あった事を全部お母さんとお父さんに話した。
 それから最後に「もう二度と絶叫マシーンになんか乗らない!」と誓った。
 そんな私を彩お姉ちゃんがくすくす笑っていた。
※このお話はフィクションです。実在する人物、団体、地域、ほかその他色々とはまったく関係ありません。

 ―番外編―

 ①思い出の場所

 ②夏祭り

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